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2007年6月15日更新

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韓国

体験レポート(交換・院)

芳賀 弓さん
梨花女子大学校学部交換留学
韓国国立芸術総合大学大学院
留学の概要
私は松下アジアスカラシップ奨学金の助成を受け、2002年2月より2003年2月まで韓国梨花女子大学に交換留学生として在籍した。その助成期間中に韓国国立芸術総合大学大学院の入学試験を受け、助成期間を終了して帰国後日本の大学を2003年3月に卒業すると同時に韓国芸術総合大学大学院舞踊科修士課程へ進学。2004年2月からは韓国政府招聘奨学生の認定を受け2004年9月まで在籍した。
当初1年の予定であったこの留学も、現地での思わぬ出会いから向こうの大学院へまで進学することになり、この足掛け3年は本当に日本と韓国の間にある海を必死で泳いでいた感がある。
  • タルチュムの写真
  • タルチュムの終演後
↑韓国梨花女子大学でのタルチュムの公演、及び終演後
留学の動機
私は幼い頃から朝鮮のチャンダン(リズム)に惹かれ、小学生の頃から日本人は私一人という環境の中で在日朝鮮・韓国人に混じって朝鮮舞踊を習っていた。その中で私が日本人の血を持ち、日本で育った事、そしてその日本文化の中に溶け込んでいる朝鮮文化の存在に強く惹かれた。
私が学んできたのは北朝鮮で発展した崔承喜が始めた近代朝鮮舞踊であり、それに対して韓国で盛んな古典、現代舞踊とは多少異なったが、本来根は同じである「朝鮮民族舞踊」をきちんと理解することは、日本と韓国を、ではなく日本と朝鮮半島そのものをつなぐ事だと確信していた。
実際に韓国の現代舞踊は日本とは異なり、現代と古典がうまく融合されており、舞踊家を専門的に教育する大学がたくさんあることから、日本でも注目されている。またたいていの舞踊家は大学院まで卒業したものの方が多いと言うほどに高等教育の対象として舞踊が高く位置づけられている。
同時に韓国でポピュラーな現代舞踊の多くは古典舞踊を基本としたもの、または民族文化をテーマとした創作舞踊であり、舞踊を専門教育とする学校の少なく、バレエを基礎とするジャンルである現代舞踊が定着している日本はこの韓国の現状から学べることが少なくない、とそれらをまとめ、自分が身をもって朝鮮舞踊を踊れる存在としてこれらを研究し、日本に紹介することが必要だと感じた。それは舞踊に関してだけでなく、日朝韓のこれからのあり方を考える際に必要不可欠である、という思いから留学を決めた。
  • 授業風景
  • 授業風景
↑梨花女子大学での韓国舞踊の授業風景(青いスカートが本人)
留学生活とその後
交換留学生として毎年たくさんの留学生を受けて入れている大きな総合大学へ在籍していた1年目は、すべてが外国人留学生用に設定されている環境で、逆に通常の授業へ参加しようとしてもどうしても「部外者」であることが多かった。授業が全15回中2回しか行われないようなものもあって、韓国一の舞踊学科を掲げるこの学校に大変失望することもあった。
それとは反対に、進学を決めた大学院は外国人の一般受験さえも初めてであり、完全にすべてを一からひとりで始めなければならない状況であった。課題や数多い公演に加えて、自らの研究や自主的にやっていた通訳や翻訳、舞台コーディネートのために睡眠時間を取れないことが多く、学校のソファーで仮眠を取ってしのいでいたこともある。
よく舞踊は言語を必要としないので海外へ行っても交流が「楽」なのではないかと言われることがあるが、むしろより精密で繊細な言語表現が要求される。もともと言語化されていないものを言葉で表そうとするのは自国語でも難しいのだから当然なのだが、それに伴なう苦労も少なからずあったように思う。生活様式や文化もかなり類似点の多い日本と韓国だが、長くいればいるほど、目には見えない社会システムや価値観の違いと、それに伴なう(コミュニケーションの問題ではなく、私個人の中での)ジレンマに苦しむこともあった。
しかしどこへ行っても韓国人に間違えられることが多い(日本人だといっても信じてもらえないことさえあった)のはとても嬉しかったし、それが幸してか、本当に様々な人びとと出会いそしてその人びとがまた新しい世界をつなげてくれたおかげで、留学前には考えられないような経験と研究成果を得ることができた。
帰国した今でも整理のつかないものは研究だけではなく、心理面でも多く残っているが、それをこれから一生をかけて「何であったのだろう」「こうではないのか」と考え、それと共に生きていけることをとても嬉しく、楽しみに思う。
  • 練習風景
  • 練習風景

練習風景

←↑韓国国立芸術総合大学での練習風景

楽屋にて

←終演後の楽屋にて(一番左が本人)

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