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2016年4月作成

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ベトナム

ベトナムについて

概要

ベトナム地図

ベトナム社会主義共和国 (Socialist Republic of Vietnam) は、北緯8度~23度のインドシナ半島東側に位置し、南北に1,650Kmの細長い地形をしています。海岸線は3,200kmに及び、面積は約33万k㎡で、日本の総面積から九州を除いた広さです。山岳が国土の多くを占めており、平野部は北部のホン川(紅河)デルタおよびメコンデルタで、それ以外は海岸沿いにわずかに広がっています。 首都はハノイ(Hanoi)、最も大きな都市はホーチミン(Ho Chi Minh)です。

ベトナムは、北部地域と南部地域で気候の様相が異なります。ハノイを中心とした北部は亜熱帯気候で四季があり、6~8月は夏で30度前後の高温になり湿度が高く蒸し暑いですが、12~2月にかけては冬となり10度前後まで下がるので、かなり寒くなります。暖房施設を完備していないため長袖シャツやセーター、コートなどの防寒着が必要です。最も過ごしやすいのは、11~12 月前半の秋と、3月後半~4月の春の時期です。中部以北は日本と同様に 8~9月には台風に見舞われることがあり、排水設備が不十分なハノイ市内の低地では浸水することがあります。 
人口は9,073万人(2014年)。首都ハノイの人口は 約710万人、ホーチミン市は約798万人の人口を抱えています。
【ベトナム統計局(GENERAL STATISTICS OFFICE of VIET NAM)】
在越邦人数は13,547人です。(2014年10月) 【海外在留邦人数調査統計 (平成27年度) 要約版】


主要都市の人口 2014年  (単位:千人)
都市名 人口
Hanoi 7,096
Hai Phong 1,946
Quang Ninh 1,199
Thua Thien Hue 1,132
Da Nang 1,008
Ho Chi Minh 7,982
Lam Dong 1,259
Khanh Hoa 1,197
ベトナム統計局(GENERAL STATISTICS OFFICE of VIET NAM)

YENBAI省TRAMTAU区BANCONG町TAXUA山頂

人口の8割以上がキン(京)族で、主に平野部に住み、他にタイ族、ムオン族、クメ-ル族など50以上の少数民族が山岳部に住んでいます。全人口の4分の3が農村部に住んでいますが、都市部への人口移動、都市と農村の所得格差が問題となっています。 

公用語はベトナム語です。べトナム語はもともと漢字で表されていましたが、フランスに植民地化された後、アルファベットとアクセント符号を併用し、ベトナム語の6声調を表記する書き方になりました。漢字に由来する単語が多く、意味を漢字から取ると理解しやすい面があります。また北部、中部、南部で方言があります。 


信仰の自由が認められており、人口の7割が仏教(大乗仏教)を信仰しています。カトリック系キリスト教は10%程度で、南部では民族宗教のカオダイ教、ホアハオ教などが信仰されています。

政治体制

体制:社会主義共和制 
元首:大統領(国家主席) 
国会:1院政 498議席、任期は5年 選挙権は満18歳以上、被選挙権は21歳以上
政府:首相1名 副首相5名
司法:最高機関は人民最高裁判所。各省、市には地方裁判所。 
政党:ベトナム共産党の1党制。党の意思決定機関として党政治局、党中央委員会、党大会があり、党大会は5年に1度の開催。国会議員のほとんどが共産党員で、閣僚の大半は党中央委員会に所属。
1986年の第6回党大会にて採択された市場経済システムの導入と対外開放化を柱としたドイモイ(刷新)路線を継続、構造改革や国際競争力強化に取り組んでいます。他方、2011年以降、ベトナム国内経済が停滞し、ドイモイ進展の裏で、貧富の差の拡大、汚職の蔓延、官僚主義の弊害等のマイナス面が顕在化したことから、党・政府は、汚職防止の強化、行政・公務員改革等を進めています。2013年には、国会が人事を承認した閣僚級以上の指導者に対する国会議員による信任投票の実施や憲法改正等、一党体制にありながら、民主的要素を取り入れるといった動きもあります。2016年1月20~28日に第12回ベトナム共産党大会がにハノイで開催され、2020年までの党中央指導部の人事が決まりました。序列1位の党書記長はグエン・フー・チョン氏が留任し、グエン・タン・ズン首相は退任することになりました。

経済指標等

QUAN LAN


通貨:ドン(Dong)                   
一人当たり GDP:2,073米ドル(2014年、IMF) 
経済成長率(2014年、越統計総局):5.98%
物価上昇率(2014年、年平均、越統計総局):4.09%

貿易額等(2014年、越税関総局):
輸出 1,501.9億ドル(対前年比 13.7%増) 携帯電話・同部品、縫製品、PC・電子機器・同部品、履物、水産品等
輸入 1,480.5億ドル(対前年比 12.1%増)機械設備・同部品、PC・電子機器・同部品、布地、携帯電話・同部品、鉄鋼等

外務省 ベトナム基礎データ 経済 ※リンク先を新しいウインドウで表示

1986年に採択されたドイモイ路線(市場経済システムの導入と対外解放)の成果が1989年頃より上がり始め、1990年代前半には9%の経済成長を達成しました。90年代後半より成長率は鈍化し、アジア経済危機の影響を受けましたが、2000年代に入ってからは再び6~7%台の安定的な成長を続け、2011年以降は5%台で推移しています。
日本とベトナムは1973年9月に国交を樹立。日本政府はベトナムの進めている開放化政策に支持・支援を表明し、経済・政治・文化にわたる幅広い交流が進んでいます。2013年には日越外交関係樹立40周年を迎え、日本とベトナムの両国において約250の文化交流行事が開催されました。

外務省 最近のベトナム情勢と日ベトナム関係 ※リンク先を新しいウインドウで表示

歴史と社会


ベトナムの歴史は中国と深いかかわりを持ってきました。紀元前111年に漢の武帝がこの地を征服して以来、11世紀まで千年にわたって中国の支配下に置かれていました。唐滅亡後、辺境の支配力が低下し、11世紀初頭に現在のハノイ市周辺に勢力を築いていたリー朝が中国から独立しました。その後チャン朝など、ベトナム民族による王朝が築かれました。1414年に明が侵入し、再度ベトナムを支配しました。1428年、初期レー朝は中国から独立しましたが、その後18世紀まで様々な王朝が割拠する分裂期に入ります。

中国支配の時代

前 111年 - 938年 漢から唐までの中国王朝支配期
1010年 - 1225年 リー朝(李氏大越国)  
1225年 - 1400年 チャン朝(陳氏大越国)  
1400年 - 1406年 ホー朝(胡氏大虞国) 
1406年 - 1428年 属明期  
1428年 - 1527年 初期レー朝(黎氏大越国) 
17世紀-18世紀   分裂期 
1802年フランスの支援を受けたグエン朝によって南北ベトナムが統一されます。しかし、グエン朝が徐々に中国的な支配体制を整備するにつれ排外的な傾向をしめすようになり、キリスト教を禁止するなどしました。19世紀に入るとフランスはインドシナ半島への支配を強め、2度の戦争を経て、1884年にはほぼベトナム全土を植民地としました。1940年9月に日本軍が進駐し、1945年3月、親日的なバオダイ帝は日本の援助の下で独立を宣言しましたが、1945年8月のベトミンが行った総蜂起によりベトナム民主共和国が成立しました。 

フランス統治期~日本進駐時代

1802年 - 1945年 グエン朝(Nguyen、阮朝、阮氏越南国、阮氏大南)  
1884年 フランスインドシナに編入し植民地化 
1940年 日本軍進駐 
1945年 ベトナム8月革命でベトナム民主共和国
1945年、日本の敗戦を期にベトミンがハノイを占拠(8月革命)、さらに9月2日にホーチミンは「ベトナム民主共和国」樹立を宣言し、初代大統領に就任しました。1946年ハイフォンでフランス軍と衝突し第1次インドシナ戦争に突入。1949年にフランスはサイゴンにバオダイ帝を復位させて独立を認めました。一方で中国、ソ連は「ベトナム民主共和国」を承認しました。1954年フランスはディエンビエンフーの戦いで敗れ、ジュネーブ協定を締結しました。

分断国家時代

1945年 ベトナム民主共和国の成立 
1946年 ‐ 1954年 第 1次インドシナ戦争 フランスの撤退
1954年 ジュネ-ブ協定 ベトナムの南北分断の固定化
ジュネーブ協定により北緯17度線を境にベトナムは南北に分断され、南部はフランスに代わってアメリカの支配下に置かれました。1955年10月、アメリカを後ろ盾とするゴ・ジン・ジ ェムが大統領に就任し、国名を「ベトナム共和国」に改称しました。1960年、南部で「南ベトナム解放戦線」が創設され、アメリカは1962年にサイゴンに援助軍事司令部を設置、介入を開始しました(第2次インドシナ戦争)。北ベトナム政府は、「南ベトナム解放戦線」を強力に支援することにより南北統一を目指しました。南部は内戦状態に陥りましたが、米国はさらに1965年から「北爆」を開始し内戦に直接介入することになりました。アメリカは短期での戦争処理に失敗し、戦争は長期化しました。国際世論が次第にアメリカ批判を強める中で、アメリカは1973年のパリ協定を経て「名誉ある撤退」を開始し、ベトナム戦争は終結しました。北ベトナム人民軍は、アメリカが撤退した後、南部の完全開放を目指して1975年一気に南部を制圧、翌1976年4月に南北統一選挙を実施し、7月に「ベトナム社会主義共和国」が成立しました。
政府は南部を社会主義化するとともに、78年に華僑を追放。これに対して中国はベトナムへの支援を中止しました。一方で、ベトナムは経済相互援助会議(COMECON)に加盟し、同年11月にソ連と友好協力条約を締結。12月、ベトナム軍はポルポト政権下のカンボジアに侵攻、1979年1月プノンペンを攻略し、カンボジア人民共和国(ヘンサムリン政権)を樹立しました。

中国は同年2月、ベトナム国境で攻撃を開始し、中越戦争に発展しました。西側諸国は援助を停止し、ベトナムを孤立化させました。国内経済が疲弊したベトナムはカンボジアから撤退を開始、1989年9月には完全撤退しました。経済政策面では、南北統一以降進めてきた社会主義経済化の挫折から、1986年には市場経済化を目指す「ドイモイ」政策を導入し、改革・開放路線に転じました。

南北統一時代

1976年 南北統一 ベトナム民主共和国をベトナム社会主義共和国に改名
1978年 カンボジア侵攻開始  
1979年 中越戦争
1986年 ドイモイ(刷新)政策の開始
1992年 ベトナム-中国関係正常化
1995年 ベトナム-アメリカ国交正常化

ベトナムの現状

1986年のドイモイ政策導入以降インフレが急速に進行しましたが、90年代に入ると沈静化し、安定的な経済成長を実現、国民全体の所得水準が上昇しました。対外開放政策の導入と民間セクタ-の承認によって、個人の経済活動に対する制約が無くなり、社会は活気を呈しています。一方、急速な経済発展に伴い、ハノイ、ホーチミン市などの都市部と北部山岳地域、中部農村地域の格差、南北間の格差など、貧富の差が拡大しています。また、密輸、麻薬、汚職・腐敗も大きな社会問題となっていて、政府は死刑も含む厳罰を持って取り締まっています。 

南北ベトナムの相違点と共通点

ホイアンの家

ベトナムは南北でかなり違いがあると言われています。それは南北の気候の違いや、地理的な条件、それに伴う政治・経済面での発展の違いなどが要因であると考えられています。

北部は四季があり、冬は10℃以下に気温が下がる気候で、地理的には中国と国境を接し、千年以上に渡ってその支配下にあったので、政治経済的、文化的にも長期にわたって中国から強い影響を受けました。南部は熱帯モンスーン気候で、アジアの海域に大きく開かれ、漁業のほかに海洋交易を行う港湾都市が発展し、北部のように他国に従属することなく自由な商業活動の繁栄が見られました。南北に長く風土の異なった領土が統一されたのは19世紀初頭になってからで、「政治の北、経済の南」などと言われる要因は、このような歴史的な背景があってのことと考えられます。

一方で、南北で共通する点も多く見られます。ベトナムは全就業人口の 70%が農業に従事している農業国であり、また仏教を中心とした共通の宗教観、儒教精神にのっとった社会制度、50以上の多民族国家ながら、人口の8割はキン族が占めるという民族構成などから、社会的価値観を共有しやすい土壌があります。ベトナムには「国王の法も村の垣根まで」と言う諺がありますが、これは頻繁に交代する為政者が存在する一方で、農業を営む広範な地域では、村の掟が最も尊重される価値観であることを表しています。

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