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2008年3月作成

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オランダ

アンケート(修士1)

R・A さん
(2008年2月アンケート記入)
留学先について
学校名:Wageningen University
専攻:レジャー(余暇)学 (環境社会学)
課程:修士
留学期間:2000年9月~2004年6月(通常は2年のコース)
留学前の状況
なぜオランダに留学しようと思いましたか?なぜ他のフランス語圏あるいは英語圏の国ではなくオランダを選びましたか?
カナダか豪州への大学院留学を考えていたが、申請するには、同分野の学士をすでに習得している必要あった。しかし日本には専攻分野が存在しないこと、また要求される英語のレベルもかなり高いものであったりして、申請する前にあきらめていた。そんなときヨーロッパ圏(英国)に留学していた人に出会い、欧州でも英語で履修できる大学がたくさんあるとの情報を教えてもらって、インターネットで検索し、条件にあいそうな現在の学校をみつけた。北米や豪州・UKなどと違って、日本人が少なそうなのもかえって魅力であった。
留学を思い立ってから実際に現地に出発するまでどのくらいの準備期間が必要でしたか?
広い意味では15年以上。事情が許さず、あきらめかけていたところ。
だが本腰をいれて情報をさがしだし、大学をみつけて、アクションをとって状況が動き出してからは、たったの2ヶ月。これはたまたま照会した時点で、大学側にキャンセルがでたため、特例で書類審査などを早めてもらったため。通常は1年から半年以上の準備期間が必要だそうだ。非常に運がよかったと思う。
日本でオランダ語または英語をどのようにして勉強しましたか?どの勉強方法が一番効果的だったと思いますか?
英語:
ほぼ独学、ひたすら市販の教材を繰り返して勉強。
ボキャビルマラソン、ヒヤリングマラソン、TOEFL専用のドリル(出版社不明)がとりわけ力をつけるのに役立ったと思う。2ヶ月だけ、カナダに行き、現地のコミュニティスクールに参加してから、スピーキング、ヒヤリングが格段にアップしたように思う。これも日本での貯金(独学)が役立ったせいだと思う。
どのようにしてオランダや学校の情報を得ましたか?
インターネット、オランダに関する情報は当時は、皆無であった。
すべての情報はネットをつかい英語で検索をして調べたもの。また当時はインターネット上の情報もそれほど多くはなく、ご縁があったとしかいいようがない。
こちらにきて、判明したことだが、周囲のほとんどの学生・研究者が、所属する大学や研究所、仕事場から勧められたり情報を得てきており、ネット検索派はほとんどゼロ。
私の場合、日本で所属する大学がなく(専攻が違い、卒業してから年数もたっているため)、アカデミックなネットワーク・情報から隔離され大きなハンディキャップであったと思う。
学校へは何語で、どんな手段(E-mail、ファックス、電話)で連絡を取りましたか?
英語。E-mailで。審査のための書類は時間を節約(上述のようにキャンセル枠にいれてもらうため、非常に急いでいたので)するために、ファックスで送信。
特に困ったことはないが、通信費が嵩んだ。
出願:出願時にどのような書類をどこに提出しましたか?
卒業した日本の大学の成績証明書、卒業証明書、大学側の申請書、業務歴を記載したCV、推薦状、照会者の名前、英語のレベルを判定できるもの(TOEFL等)など(過去のことで詳細はよく覚えていない)
日本の大学側が夏季休暇にはいっており、事務業務が全てストップしていたのだが、事情を話したところ、快く便宜をはかってくれた。約2週間(上述のように特例)
現地の入学試験とその内容を教えて下さい。
特になし
どのような滞在許可をどのようにして取得しましたか?
(年数がたっているため はっきりとは覚えていませんが概ね次のようだったと思われます)
□入国後
地元の警察で外国人登録
市役所で住民登録
パスポート、各種証明書と写真(学校で撮影)をもって学生課に持参すると手続きをとってくれた。
* 空港でも拍子抜けするくらいに簡単に入国ができた。(カナダに2ヶ月ほど語学学校にいったときは、根掘り葉掘り聞かれて大変な目にあったことがある)
□入国前日本で
*アポスティーユ(Apostille)を外務省から発行してもらった。
そのためには、住民票や戸籍抄本などが必要だったと思う。
*アポスティーユ
ハーグ条約(認証不要条約)に加盟している国(地域)に証明書を提出する場合、公文書に外務省においてアポスティーユ(付箋による証明)の付与が行われていれば、駐日外国領事による認証はなくとも、駐日外国領事の認証があるものと同等のものとして、提出先国(地域)で使用することが可能になります。
申請時に提出を求められた書類、申請料、申請から取得までかかった日数を教えて下さい。
申請料は学費に含まれていたように思う。よく覚えていない。
学校側の手続きの流れに乗って、まったく問題なく取得できた。IDカードのようなものを発行してもらったが、即日発行だったように思う。
保険・医療・予防接種について教えて下さい。
学校から指定された保険会社の学生用保険に強制加入。
保険料は高すぎもせず、安すぎもしない妥当な額であったと思う。月額1万円から1万5千円くらいのように記憶している。
予防接種は必要なし
学校生活
授業の内容について教えて下さい。教授・先生の教え方や授業内容に満足していましたか?
社会学のアプローチであるため、自分の考えをまとめ発言する能力と長文記述能力が求められた。
また欧州の先生は「理論:セオリー」というものをよく口にしていた。いずれも慣れず、とまどうものであったが、これは外国、日本という違いからくるものではなく、社会学というものが求めるものであると思う。
学科自体は世界中の先生(アフリカ、インド、ロシア、米国、UK、香港、日本、ベルギー・・・)から多岐にわたる分野の話を伺えて興味深いものであったが、一方で、内容が広く浅すぎて、深く突き詰める時間がないのが残念であった。
インターンシップの情報など、積極的に自分から情報収集をする必要がある。
授業の予習・復習の内容やかけていた時間を教えて下さい。日本で学んだ語学力は充分でしたか?
ひたすら読書。時間が許す限り、本を読んでいた。あとはレポートや学友との共同作業による宿題。
語学力は全然充分でなかったと思う。(先生や学友には、他の人と比べても優秀な部類だと再三言ってもらったが、コンプレックスのかたまりだった)。項目が社会学であったため、日本語のテニオハにあたるような微妙な表現を分析することが多く大変だった。
また専攻科目の下地がないこと、西洋の歴史・哲学・思想など(日本での仏教概念やワビサビにあたるような事柄)の知識がそれほど多くなかったのも不利だった。所属学部のカリキュラムが独自メソッドを採用しており、項目が毎週変わり、専門用語の羅列で辞書をひいても見当たらない言葉が多かったのも悩みのタネであった。
また大量の英文を書くことにもなれておらず、これも苦労の連続。学問レベルそれも社会学の語学力をつけるのは帰国子女でもないかぎり無理だと思う。ただし日本で同分野の専攻をしておれば、予備知識があるのでかなり楽になるだろう。
授業以外に勉強する際、どんな場所を利用しますか。学校の施設(図書館、コンピュータールーム、カフェテリアなど)は充実していましたか?
自室あるいは図書室。またはコンピュータールーム。
自室が快適であったし気が散らないので、自室で学習することが多かった。
施設はそれなりに充実していたが、利用時間が限定されていたり、設備棟が離れていたり、調子の悪いPCやプリンターが多かったり、不便なことも多々あった。
しかし昨年、女王と首相列席の元、本部ビルがオープンし、いまはオランダの大学のうち、おそらくトップクラスの充実した設備が随所に導入されている。
試験はどのように行われますか?試験対策はどのようにしていますか?
記述試験。
たまたま米国からアシスタントティーチャーの研修生がきていたので、ネイティブチェックを何度かしてもらった。
プレゼンテーションスキルやレポート(エッセイ)作成の際の文法チェックなどの語学サポートは大学で用意されていますか?もしない場合、どのように対応していますか?
プレゼンテーションスキルの授業が何コマかあった。
大学の語学学校はあったものの、レベルが合わず、文法チェックもサポートもなく、残念ながら私にはあまり役に立たなかった。現在留学中の博士課程の学生に聞いたところによると、彼女はアカデミックライティングの特訓を受けたことがあるようだ。
学校全体やクラスで、留学生の割合はどのくらいでしたか?留学生の中で、日本人の割合はどのくらいでしたか?
わたしが留学した年度は、修士課程学生の中で日本人は私1人だった。
クラスは18名程度(うち2名オランダ人)全員が留学生。学校も留学生誘致に力をいれており、修士課程、博士課程に占める留学生率はかなり高め。
そのためアムステルダムについで、ワーゲニンゲンは多国籍人種が暮らす町だそうである。100カ国ほどの国籍が登録されていると聞いたことがある。
 
クラス外のどのような活動に参加されましたか?
特に参加はしませんでした。
現地の学生とどのようにして交流を深めることができましたか?
わたしが入居していた学生寮は留学生向けで、現地の学生と接する機会がなかったのが残念。
クラスにもオランダ人がいたがあまり接触はなし。
入居する寮によって随分差がでるようだ。オランダ人学生と住んでいた学生たちの話を聞くと、現地情報なども頻繁にはいってくるし、家庭に招かれたりして、メリットが大きいという話を何度も聞いた。
他国の学生とは、お互いに多忙でしょっちゅうではなかったが、たまに行ったりきたり。ありとあらゆる国籍の学生がいると同時に、さまざまなバックグラウンドを背負った人がいて、刺激的であった。
日本人留学生とどのように接していましたか?
一人だったので、特にはありませんでした。
半年以上たってから、前年度の日本人学生が海外調査からオランダに帰国し、仲良くなった。お互い忙しかったものの、彼女の友人のパーティに参加させてもらったりして、俄然交友関係が広がり、何かと彼女の存在は有難かった。日本語で話せる気安さも格別である。
他国の留学生や指導教官とどのように接していましたか?
日本人をみたことがない人が多く、いつも中国人、インドネシア人、ベトナム人など他のアジア人といっしょくたにされるのには辟易した。
また言語グループによる情報ネットワークや交流ネットワークができており、何千人の中の<たった1人の日本語>というのは、ネットワークから隔離状態でデメリットであったと思う。特に大学側の連絡網が整備されておらず、多くの学生が困惑していたのだが、ほとんど自国ネットワークで助け合っているような状況。そんななかで、たった1人の日本人だった私だけが、情報網からはずれてしまって、まったく何も知らされていないということが何度かあった。
指導教官は多忙な人で、なかなかゆっくり時間をとってもらえなかったのがつらかった。
指導教官はアメリカ人であった。指導教官を選ぶ際、英語が母国語というのも選択基準にいれた。
日本で得ていた情報と食い違っていたところはありましたか?
日本で得ていた情報がなかったので、比較はできません。
宿泊施設
到着後初め宿泊施設を教えて下さい。 どのようにして宿泊施設を探しましたか?
大学がアレンジしてくれたスチューデントフラット。
入学許可が下りた時点で、学部教授が手続きの仕方を指示してくれたので、それにそって手続きを進めた。スーツケースをもったまま学生課にタクシーで乗りつけたら、担当の学生が車で寮に案内してくれて、まるでホテルのサービス。本当に助かった。
宿泊施設に関するトラブルやその解決方法を教えて下さい。
コリドー(共有棟)のシャワー、冷蔵庫、ゴミ置き場、洗濯機、電話などが共有。
共有費を徴収し、当番制で清掃だったのだが、ルールを守らない人も多く辟易。共有物を私物のように独占したり、使い方が汚く困ることもあった。
話し合いで解決。全員で集まったこともあるし、個別に話し合ったこともある。一人の問題児を除いて、概ね話せばなんとかなった。 最悪の場合は、IDEALIS(ワーゲニンゲン住宅サービス協会)に話す選択肢があったが、なんとか我慢。駆け込み寺があると思うだけで、精神的には楽であった。
普段、どこで食事をしていましたか?現地の食事・食材で苦労したことはありましたか?
ほぼ自炊。あるいは学友を招いたり、招かれたり。学食は毎日メニューもかわるし、非常に安い価格で夕食をとることができるのだが、まずいと評判で、周囲に利用する人はほとんどいなかった。1年間で3度ほど利用しただけ。ランチ時は頻繁に利用。
オランダ食材のあまりの塩辛さにはじめはなじめなかった。
食材のパッケージ表示(蘭語)が読み取れないため、調理方法や中身がわからず、選択肢が限定された。また最初の頃はスーパーの評判もわからず、購入した食材が傷みかけているということも何度かあった。
祝日が重なると3日間ほど町中の店が完全に閉まってしまい、日本のようにコンビニなどないので買い置きがないと何も食べるものがないという状態。部屋のスペースには余裕がそれほどないので、買い置きもかぎられる。いつが祝日なのかわからず、クチコミ情報で閉店30分前に駆け込みで食材購入に走ったことが何度もあった。多くの他の学生も同じような状況であった。
留学費用・お金の送金方法・管理方法などについて
学費及び学校に支払った諸経費はいくらでしたか?またどのような支払方法が 便利でしたか?
8000米ドル程度であったと思う(日本の実家に書類があるので、はっきりした金額は覚えておらず不明)。ユーロ導入直前で、学費も値上げ寸前の最後の年度であった。私が入学した翌年から大幅に値上がりしたように思う。まとめて外貨送金を行った。
学費以外の生活費(住居費、食費、光熱費、教養・娯楽費など)は、1か月または留学期間全体でだいたいどのくらい必要でしたか?
ギルダーの時代であったので、生活費は比較的おさえることができた。また娯楽もほとんどしなかったので、出費は月額3、4万円、プラス住居費4万円程度。入居時にマットレスや布団などに別途3、4万を支払った。
お金の管理方法と日本からの送金について教えて下さい。
学校が指定したオランダの銀行口座にお金を入金し、そこから必要に応じて引き出していた。
日本の銀行から外貨送金サービスを利用して、家族から外国送金してもらったように記憶している。
現地で病院に行ったことはありますか?大学内の医務室や付属病院で医療サービスを受けることは可能でしたか?
病院にいったことは何度もあります。大学内の医務室や付属病院は存在しないと思う。
学校内・学校外で問題があったとき、誰に相談しましたか?住居などについて支援を受けられるような学生互助会(自治会)などはありましたか?
到着した日が遅くてオリエンテーションに間に合わず、通常なら知らされているはずの情報が全くはいってこず、余分なエネルギーもかなりつかい、随分損をしたと思う。
相談はアポをとってから学生課に相談をした。あるいは学生仲間の友人が助けてくれた。
現地の危険地帯情報をどのようにして収集しましたか?また、現地での防犯対策を教えて下さい。
盗難などを含む犯罪に巻き込まれた経験はありましたか?また、その対処方法を教えて下さい。

クチコミ、嗅覚(当時治安が悪いといわれていたメキシコが始めての留学先だったこともあり、勘所は習得していると思う)危険そうなところには近づかない、深夜の一人歩きはしない、きらびやかな服装では出歩かないなど。ごく親しい知人だけでも1ダースくらいの盗難の被害者が周囲にいた。被害にあえば現地の警察と保険会社に連絡をすること。
また夜中に自転車で帰宅途中、暴漢に殴る蹴るの暴行を受けた日本人の男性研究者がいた。
オランダに長く住む日本人と同僚のオランダ人に連絡して、病院・警察に付き添ってもらったそうである。
パソコン、携帯電話、インターネット(接続について)などの現地での利用はどうでしたか?
当時(約7年前)は学校のPC、プリンターも日本語を使える環境ではなく、不便であった。
通信速度などについては問題はなかった。携帯電話が普及しすぎて、学内、寮、町の公衆電話がほとんど撤去されてしまい、携帯電話を所持しないので大変困った。
帰国後
帰国後の進路について教えて下さい。
現在はオランダにて在宅ワーク(翻訳、調査、ライター業務など)
一昨年は日本、(財団法人)大阪観光コンベンション協会付で大阪城天守閣の広報担当。
あなたの留学経験は現在の仕事・学業にどのようにいかされていますか?
調査手法、語学、多様な価値観・世界観・専門知識など有形無形に役立っている。
後輩へのアドバイス
これまでの留学準備と留学生活を振り返って、「日本にいる間にしておけば良かった」 と思うことはありますか?
原書を読むのは必須なので、原書の多読に慣れておくこと。ヒヤリングもできる限り、鍛えておいて欲しい。
また予備知識があれば、楽なので、日本語でもいいから、関連分野の書籍などになるべく目をとおしておいたほうがいいのではと思う。
留学生活を送る際に、これだけは気をつけておいて欲しい、とこれから留学を考える後輩に伝えたいことはありますか?
 気張らず、大らかに新しい世界を吸収してほしい。
またインターンシップの経験ができるのであれば、是非とも参加してほしい。その際、他国(オランダ以外の国、私の場合はネパール)を選ぶのも、さらなる可能性が広がってお勧めである。オランダにはそのチャンスが充分あると思う。
就職に関しては留学がすぐさま役立つということはないので、あまり期待をかけすぎないように。不利になることはないが、高学歴になればなるほど、希望する職はかえって限定されてしまうことをお忘れなく。また日本ほどではないにしろ、ヨーロッパは案外、年齢を気にする人が多いので、年齢がいってからの留学は大変かもしれない。
またオランダは日本人海外留学生第一号(幕末の志士)が勉学に励んだ国である。
現代のオランダでは日本からの留学生はまだまだ少数派であるが、世界中から大量の留学生が集まってきている。そのため受け入れ態勢も整っており、コースの内容も充実していて、ユーロが高く割高なのを除外すれば、とても穴場の留学先であると思う。
留学をして得るものはたくさんあっても、損をすることは絶対ないと強く感じる。事情が許す限り、世界に出て多くの経験を積んでほしい。

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