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奨学金留学
体験レポート
2026年5月25日更新
留学先国・地域:アメリカ合衆国・ニューヨーク市
学校名:バーナード・カレッジ
専攻名:ロシア語・ロシア文学、人類学
留学期間:2021年9月~2025年5月
留学形態:学士課程への進学
奨学金:JASSO給付型「海外留学支援制度(学部学位取得型)」
グルー・バンクロフト基金
留学の動機について
Q. 留学をしようと思った動機を教えてください。
小学校高学年の頃から漠然と留学をしたいと思っていた。ただ、小・中学校の時はバレエで留学がしたいと思っていた(尚、バレエは上手だったわけではない)。高校1年次に移籍したバレエスタジオで他の生徒の努力を見たのと、その中の一部の子達が怪我等の理由でバレエをやめたのを見て、その努力・経験を活かせる環境を作りたいと思っていた。また、日本のバレエ人口が世界的に見ても多いのにも関わらず、バレエを学問的に学べる高等教育機関がないのに危機感を抱き、舞踊を学問として学べる海外の大学へ留学しようと決意した。
Q. 留学先の国・地域、留学先校を選んだ理由を教えてください。
高校3年当時、バレエの政治利用に関して興味があった。特に冷戦期に米国・ソ連が行っていたバレエ外交に関して学びたかった。これに関連する研究が進んでいたのがアメリカ大学のロシア研究機関だった。また、当時ロシア語は一言も知らなかったので、大学で歴史・文学等を学びながら、言語も学べる米国大学を受けるのは必然だった。
その中でも、バーナードにはコロンビア大学ハリマン研究所で開催されたロシアバレエに関する学会で発表した教授が多く在籍していたため、バーナードを受験する事にした。(ちなみに入学後に上記の学会に参加していた教授が全て退職していた事が分かった)。 また、バーナードは卒業論文が必須なこと、コロンビア大学のハリマン研究所の修士課程をバーナード卒業後1年で修了することができるプログラムがあることも利点だった。
Q. 留学に対する家族の反応はどうでしたか。
高校1・2年の時はオーストラリアの大学でスポーツ科学を学ぶ事を検討していた事もあって、米国でロシア地域学を学びたいと言った時は驚いていたが、肯定的な反応だった。両親からは基本的に好きなようにやって良い、出来るだけサポートすると言われていた。
留学の準備について
Q. 留学にあたってどのような準備を行いましたか。留学を思い立ってから、情報収集・学校選定・出願・ビザ申請など、それぞれの準備について教えてください。
ロシア関係を学びたいと決意したのは高校3年のゴールデンウィークあたり。この段階で既に、JSTORで気に入っていたバレエ史に関する論文が何本かあったので、その著者の所属大学を探す所から始めた。その後6月・7月で大まかな志望校を選定した。
国内大学も併願していたため、夏休みは国内大学の書類を整えながら、奨学金の情報を探していた。10月末にグルー・バンクロフト基金の奨学金(当時あった総合大学枠)の合格が分かった後、高校の担任の先生がせっかく奨学金を得たのにどこにも受からないのを恐れ、安全圏の大学を受験するように言われた。
結果的には1月上旬に追加で何大学か確実に合格ができると思われる大学へ書類を提出した。
Q. 参考にした情報媒体があれば教えてください。
奨学金に関する情報はJASSOのホームページに載っていた奨学金一覧(当時はPDF)を参考にした。またこの情報は海外大学を一緒に受験していた友人等に共有していた。 受験期間中は志望校のホームページ(特に希望学部の必修科目一覧)を読み込んだ。合格後は、合格をいただいた大学の学生のユーチューブ(特にバーナードはコロンビアとの関係を説明している動画)を参考にした。
Q. 留学中の住まいはどのように探しましたか。
4年間寮生活をしていた。
Q. 語学学習はどのように行っていましたか。
簡単なものでも1つの小説を3・4回読むようにしていた。回数を重ねると、その小説での言い回しが身についた。TOEFLに関しては、語彙力が少なくても、文節・文法の理解がしっかりしていれば点が取りやすい。
Q.留学(あっせん)サービスなどは利用しましたか。
利用しなかった。私より上の学年はRoute Hを使った学生が一定数いたが、現在バーナード・コロンビアで学んでいる学部生で一条校から進学した多くの人は自力で来ている。
Q. 留学にはどのくらい費用がかかりましたか。留学 の資金調達はどのように行いましたか。
学費は年に6万~7万ドル、寮費・食堂代は年に合計約2万ドルかかった。JASSOの学部学位支援型の奨学金(学費として300万・生活費で11万8千円)とグルー・バンクロフト基金の奨学金(5万ドル)を併用していたので、自己負担が渡航費用のみに抑えられていた。ただ、学費の値上げ、円安の進行(私が留学を開始した2021年の外国為替円換算率は$1=¥108、卒業時は$1=¥139)の影響で4年目は若干授業料も自己負担することになった。また他の人より物欲が少なかったためか、追加費用はほとんどなかった。
夏学期を受講した際はコロンビア大学ハリマン研究所の奨学金(5千ドル)、アルメニアへ留学した際はAmerican Council for International Educationの奨学金(2千ドル)をもらっていた。
留学中の様子について
お茶会で友人と喋っている私を先生が撮ったもの
Q. 留学中の学校生活はどうでしたか。日本の学校との違いや、海外の学校だからこそ苦労すること、学校生活での楽しみなどを教えてください。
バーナードへ進学する前に早稲田大学に3ヶ月程在籍していたので、日本の大学の状況はなんとなくだが理解している。一番大きな差としては学期毎で受講する授業数が少ない代わりに1授業あたりのコマ数が多いこと。もちろんそれに伴って課題量も多かった。利点としては言語を学ぶときに会う回数が多い方が習得は早いこと。週に1回授業外でロシア語を喋るお茶会を先生が開いてくれた。
ロシア文学というバーナード・コロンビアで課題が異常に出ることで有名な専攻を学んでいたため、読むスピードが現地の学生より遅いのが苦労した点だった。一例としては『戦争と平和』を2~3週間で読まないといけかった時に、その期間では読み終わらず他の課題をこなしながら中間試験に間に合うように読んだことがあった。
Q. 学校外の生活はどうでしたか。寮などでの生活や休日の過ごし方、町の治安などについても教えてください。
ニューヨークの治安は良くない。そのため、大学1年・2年次は夕方6時以降寮から極力出ないようにしていた。ただ、留学する前からバレエの舞台やクラシック音楽のコンサートに行くのが好きだったのと、劇場の匂いでホームシックなのを忘れる事ができたため、月1回公演を観に行くようにしていた。ニューヨークには学生・30歳以下の人が手軽に公演に行けるための制度が豊富なため、その制度を活用していた。
Q. 留学中の生活で大変だったことを教えてください。また、それをどのように克服、対応しましたか。
授業を受けている時はあまり問題がなかったが、日常生活における英語を全然知らなかったのが大変だった。最初の2年はどのように返答すれば良いのかを知らないがために、いわゆる『空気が読めない』と認識されていたと思う。これに関しては3年目に諦めがついた。できる限り他の人の喋り方から学ぼうとしたが、真似ることに限度があることがわかった。まさか、日常での挨拶が一番苦労する点だとは留学する前には想像もついていなかった。
留学後について
アルメニアへ留学していた時のもの
Q. 留学を経験してみて感じたこと、学んだことはありますか。留学前と比べて成長した面はありますか。
度胸がついて、融通が効くようになったと思う。私の成長だけを考えればアルメニアへ特に3年目の後の夏にアルメニアに留学した時に一番変わったと思う。『アルメニア時間』(時間通り・計画通りにいかないこと)を経験した後からは、比較的に時間や予定に関する融通が効くようになった。また、それ以前は学外でどこかに出かけることなどほとんどしなかったのにも関わらず、留学先の友人と古都へ1泊2日の旅行へ行ったり、自分からバレエの先生を探し現地でアルメニアの生徒・学生にまじりレッスンを受けた。
Q. 留学後の進路について教えてください。
卒業後1年間(2026年5月まで)はコロンビア大学文理大学院のロシア・東ヨーロッパ・ユーラシア地域学専攻の修士課程に進学し、学部時代にお世話になっていた教授の授業を引き続き受講していた。2026年9月からハーバード大学文理大学院のスラブ語・スラブ文学部の博士プログラムに進学する予定で、現在は入学手続きを進めている。
Q. 最後にこれから留学をする方へのメッセージ・アドバイスをお願いします。
4年前グルー・バンクロフト基金のホームページにも同じメッセージを書きましたが、今でもこれが一番重要なことだと思うので、同じメッセージを送ります!
自分が興味のあることは、他人には受け入れられない、否定されるかもしれないなどと思わず、考えている事を言葉に出す事が重要です。努力してきた、やりたい事をはっきり表現できれば必ずその熱意は届きます!
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